(経営学者)佐藤 耕紀 のブログ

経営学の紹介 & Coffee Break(写真、紀行、音楽など)

なぜ、改革は難しい?(3)「損失回避」

前回は、「組織の惰性」と「現状維持バイアス」の話をしました。

 

人間を含む動物が「惰性」や「現状維持バイアス」をもつように進化したのは、野生の厳しい環境のなかで、それが生存に有利だったからかもしれません。

たとえば「いつも通る道」「いつも食べるもの」は、安全が確認されています。

ときには必要に迫られて、新しい道や食べ物を探さなければならないこともあるでしょう。

しかし、それには危険がともないます。

気まぐれでよく知らない道を選んだせいで、他の部族や猛獣に襲われて死ぬかもしれません。

足を滑らせて転落するかもしれません。

見慣れないものを食べてみたら、フグやトリカブトのような毒があるかもしれません。

 

進化のなかで人間が適応してきた狩猟・採集時代の環境では、安全が確認されていることを繰り返すのが生存に有利だったのでしょう。

「官僚制の弊害」として批判されることもある「前例踏襲主義」ですが、それは生物の本能に深く刻まれているのかもしれません。

 

ただし、現代先進国の環境は、ヒトの心が適応してきた狩猟・採集時代よりも、はるかに安全です。

現在の私たちは、惰性や現状維持から脱して、もっと大胆に試行錯誤やチャレンジをすべきなのかもしれません。

 

「惰性」や「現状維持」の背景には、「損失回避」(loss aversion)の心理もあるのでしょう。

行動経済学者のセイラー(Richard Thaler、2017年にノーベル経済学賞)は、「損失から被る苦痛が、同じ規模の利得から得られる喜びを上回る人間心理は、損失回避と呼ばれる」「大まかに言うと、損失の苦痛は利益を得たときの喜びの2倍強く感じられる」と言います。(*1)

たとえば20万円をもらったときの喜びと、10万円を失ったときの苦痛は、主観的にはだいたい同じくらいに感じられます。

人間は何かを得ることよりも、失うことに対して、2倍も敏感に反応するのです。

 

そういう心理は、どのように進化したのでしょうか。

 

動物の世界で利益というと、代表的なのは食べ物でしょう。

野生の世界では保存技術もなく、お金に換えて貯めるということもできません。

自分や家族で食べられる以上に食料を集めても、意味がないのです。

よくばって食物を探しすぎると、捕食者に見つかって命を落とすかもしれません。

 

損失は、捕食や怪我や飢餓でしょう。

一定以上の損失をこうむると死んでしまうので、損失の回避はまさに死活問題です。

「利益の獲得」よりも「損失の回避」を優先するように進化したのは、厳しい環境を生きのびるうえで、その方が有利だったからかもしれません。

 

進化心理学者のピンカー(Steven Pinker)は、次のように言います。


    ……マイナスの感情(恐怖、悲しみ、不安など)は、プラスの感情の2倍も強く感じられる。また損失は、同じくらいの利得よりも鋭敏に感じられる。……このことは、「人々は『確実な利得をさらに増やすため』よりも、『確実な損失を避けるため』に、より大きな賭けに出る」「人々が人生での損失(学校での留年や、恋愛の破局)を想像したときの気分の落ち込みは、同じくらいの利得を想像したときの気分の高揚よりも大きい」といった実験結果で確認されている。心理学者のティモシー・ケテラーは「幸福感は、資源(の利得や損失)がもたらす生物学的な適応度に比例する」と指摘する。状況がよくなるとき、適応度の増加は「収穫逓減」する。食物は多いほどよいが、それはある程度までだ。しかし状況が悪くなるとき、適応度の減少はゲーム・オーバーにつながりかねない。食物が足りなければ、死んでしまうのだ。(*2)

 

*1  リチャード・セイラー著、遠藤真美訳『行動経済学の逆襲』(早川書房、2016 年)、p.62

 

*2  引用した部分は、以下の原著から、私が翻訳しました。Pinker, Stephen, How the Mind Works, PENGUIN Science, 1997, p.392

邦訳書では、以下の部分に書かれています。スティーブン・ピンカー著、椋田直子訳『心の仕組み(中)』(日本放送出版協会、2003 年)、pp.269-270

 

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